昔、小学校の通学路にキリスト教関係の人がいた。
帰り道に出くわすと、
「あなたは神様を信じていますか?」
と問われ、紙芝居を見せられるというものだ。
当時、2年生くらいだと思う。
友達と下校しているときに捕まった。
そして、その紙芝居を見せられた。
終わったと絵本のようなものを渡され、その時は普段通りに帰宅した。
しかし、家に帰ってから僕は震えが止まらなかった。
地獄の様子みたいな描写は当時の自分には強烈すぎた。
夜中のトイレにもいけなくなった。
夜中にトイレに行く時、必ず電気付けるよね?
うちの電気はスイッチを入れると赤く点灯するものがほとんどなので、
夜にトイレに行こうとするとどうしても「赤い点灯」を見てしまうことになる。
薄暗い中での「赤色」は怖かった。
紙芝居や絵本でみた地獄の色にそっくりだったから。
このままだと自分は絶対地獄に行く。
どうあがいても助からない。
あと「死」というのがもの凄く怖かった。
自分の親には聞かずに友達の母に聞いてしまったことがある。
僕「人間は死んだらどうなるんですか?」
友達の母「さぁ、どうなるんだろうねぇ?誰もわからないよねぇ。」
僕「どうなるかわからないのって一番怖くないですか?」
友達の母「怖いわよねぇ。
でも、先がわからないからこそ、今を精一杯生きるべきだと思うよ。」
そういわれても「死」というものが怖かった。
そんな時に、地獄行きの話をされたので本当に怖かった。
頭がおかしくなりそうなくらい悩んだ覚えがある。
普通の人ならそこで「じゃあキリスト教に入って天国にいこう!」と考えるだろうが
自分はそうではなかった。
↑純粋な子供の心理としてね。
自分はキリスト教徒になっても天国にはいけない自信があった、
この先、どんなことをしても自分が救われる道はない。
そしてある日気づいた。
どうせ助からないなら神様なんか信じなければいい。
良い事をしても、悪い事をしても地獄へいくのならば、
自分の好きなことを好きなようにすればいい!!
ということで考えがまとまって自分勝手な自分ができあがったのさ!
いつか、母に
「死にたいから邪魔しないで」
と言ったことがある。
恐らくそのまま放っておいても自殺することはなかったと思う。
「死にたい」というのはあくまで願望であって
本当に「死ぬ」つもりはなかった。
自殺の名所に足を運んだ事もあった。
友達に教えてもらったのだが、
「本気で死ぬつもりの人間にしか道が見えなくて、
一度踏み込んだら引き返せない場所」
実際は見つからなかった。
わからないけど、本当はそんな場所ないのかもな。
「誰にも見つけることができない場所、
つまり誰も本気で死にたいと思ってる人なんていないよ。
一時期の感情でそう思ってるだけ。」
って事なのかなーって思う。
宗教関係のスレ見つけて、急に思い出した。
おしまい。
帰り道に出くわすと、
「あなたは神様を信じていますか?」
と問われ、紙芝居を見せられるというものだ。
当時、2年生くらいだと思う。
友達と下校しているときに捕まった。
そして、その紙芝居を見せられた。
終わったと絵本のようなものを渡され、その時は普段通りに帰宅した。
しかし、家に帰ってから僕は震えが止まらなかった。
地獄の様子みたいな描写は当時の自分には強烈すぎた。
夜中のトイレにもいけなくなった。
夜中にトイレに行く時、必ず電気付けるよね?
うちの電気はスイッチを入れると赤く点灯するものがほとんどなので、
夜にトイレに行こうとするとどうしても「赤い点灯」を見てしまうことになる。
薄暗い中での「赤色」は怖かった。
紙芝居や絵本でみた地獄の色にそっくりだったから。
このままだと自分は絶対地獄に行く。
どうあがいても助からない。
あと「死」というのがもの凄く怖かった。
自分の親には聞かずに友達の母に聞いてしまったことがある。
僕「人間は死んだらどうなるんですか?」
友達の母「さぁ、どうなるんだろうねぇ?誰もわからないよねぇ。」
僕「どうなるかわからないのって一番怖くないですか?」
友達の母「怖いわよねぇ。
でも、先がわからないからこそ、今を精一杯生きるべきだと思うよ。」
そういわれても「死」というものが怖かった。
そんな時に、地獄行きの話をされたので本当に怖かった。
頭がおかしくなりそうなくらい悩んだ覚えがある。
普通の人ならそこで「じゃあキリスト教に入って天国にいこう!」と考えるだろうが
自分はそうではなかった。
↑純粋な子供の心理としてね。
自分はキリスト教徒になっても天国にはいけない自信があった、
この先、どんなことをしても自分が救われる道はない。
そしてある日気づいた。
どうせ助からないなら神様なんか信じなければいい。
良い事をしても、悪い事をしても地獄へいくのならば、
自分の好きなことを好きなようにすればいい!!
ということで考えがまとまって自分勝手な自分ができあがったのさ!
いつか、母に
「死にたいから邪魔しないで」
と言ったことがある。
恐らくそのまま放っておいても自殺することはなかったと思う。
「死にたい」というのはあくまで願望であって
本当に「死ぬ」つもりはなかった。
自殺の名所に足を運んだ事もあった。
友達に教えてもらったのだが、
「本気で死ぬつもりの人間にしか道が見えなくて、
一度踏み込んだら引き返せない場所」
実際は見つからなかった。
わからないけど、本当はそんな場所ないのかもな。
「誰にも見つけることができない場所、
つまり誰も本気で死にたいと思ってる人なんていないよ。
一時期の感情でそう思ってるだけ。」
って事なのかなーって思う。
宗教関係のスレ見つけて、急に思い出した。
おしまい。
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